『サルバドールの朝』(2006年/スペイン/監督:マヌエル・ウエルガ)
| 2007年9月25日 (火) | 印刷用ページ |
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1970年、スペインでフランコ政権に立ち向かい、世界を変えようとして闘った青年の人生と彼の不当な死を描いた映画『サルバドールの朝』のレビュー。
「重いなぁ」

見終わって口から出た最初の一言。その「重さ」は、自分の信念を貫いた青年が死刑に処せられた重さ、死刑に用いられた残虐な手段を見せつけられた重さであり、ダニエル・ブリュールを通して垣間見えたサルバドール・プッチ・アンティックに魅せられたがゆえに感じた、刑罰の重さでもあった。が、今にして思えば、これではあまりにも浅すぎた。
罪を犯したのであれば、それ相応の刑罰を受けることは当然である。サルバドールは銀行強盗を繰り返し行ない、その過程で一般人を負傷させた。張り込んでいた警官にとらえられる際の銃撃戦で警官一人が死亡した。であれば、そうした行為は裁かれなくてはいけない-独立した裁判所で、権威ある裁判官によって、公正に。
重かったのは、その裁判過程が公正でなかったからだ。
独立した裁判ではなかったからだ。弁護側が要求した証人喚問も、証拠提出も認められなかったからだ。
警察はある事実を隠蔽したからだ。
その結果、下された死刑判決。
つらさと焦りとむなしさと
その重さを感じつつ、なんとかならないのか? この事態を打開するには、どこに穴を開けられる? これではあまりに不当じゃないか! ストーリーを追っていくにつれ、いろんな思いと感情が乱れ飛ぶ。
公正を追求しよう、正義を果たそうとしても、それが叶わぬつらさと焦燥感。
成果が得られないまま時間だけが過ぎていくつらさ。
砂時計が落ちきるのをじりじりと感じつつも、家族の絆を確かめあうサルバドールと姉妹を見守る警官らのつらさ。
そうした全てを断ち切るかのように告げられる。「もう時間だ」と。そして、死刑は執行されるのだ。
respecto!(尊厳を払え!)
死にかけているサルバドールに対して、ある警官がはいた暴言を警察長官と思しき人物が一喝した(実は、字幕を正確には覚えていないのだが)。人の命はそれほど軽くないし、軽く扱ってはならない。この人物はそれをわかっていたのではなかろうか。
respecto! -死刑囚であろうと、警官であろうと、死刑執行人であろうと、命の重さは同じ。死刑は国家による刑罰という形を取っていても、殺人である事実は変わらない。ましてや、それを仕事としてやらされるとしたらたまったものではない。しかも、公正な裁判によって下された死刑ではないのだ! いや、公正な裁判によって下されたものであっても、死刑は死刑だ。国家による殺人だ。
この映画は死刑制度の是非そのものをずばりと問うてはいない。が、殺してしまったら取り返しがつかなくなることは、そのものずばりと伝わってくる。公正な裁きと公正で明確な手続こそが、まずは確保されるべきなのだ。サルバドールは公正な裁判を受けていなかった。公正な裁判によって下された刑に処せられたわけではなかったのだ。死刑が国家による殺人である以上、それを正当化することはできないが、少なくとも、公正性が確保できない裁判ではその結果(判決)も公正性を確保できるはずがない。
サルバドールの遺族は、今現在も再審請求をしているという。そう、真実は明らかにされるべきだ。真実が明らかになったところで死刑によって絶たれた命は戻ってくるはずもないが、同じ間違いを避けることはできるかもしれない。サルバドールの死刑が執行されたのは1974年。自分もすでに生まれていたあの頃、別の国とはいえ、こうした状況があったということそのものがショックだ。これは過去の話だと、将来は起こりえない話だと、誰が言い切れるだろうか?
respecto! これは忘れまい。
原題:Salvador
2006年/スペイン/カラー/135分/
配給:CKエンタテインメント
監督:マヌエル・ウエルガ
脚本:ルイス・アルカラーソ
ダニエル・ブリュール
レオノール・ワトリング
イングリット・ルビオ
トリスタン・ウヨア
