ネパールにおけるジェンダー間格差
| 2007年2月23日 (金) | 印刷用ページ |
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ネパールでは、1990年の民主化達成の後に経済の自由化も急激に進行した。この「自由化」は、様々なネガティヴなインパクトを引き起こし、それまでも社会の周辺に追いやられていた低カースト、エスニック・グループ、女性、地方の人々等をより社会的に排除していく結果となっている。このことは1996年から続いてきたネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)による「人民戦争」の大きな原因となったと考えられる。
この文章では、特に「ジェンダー」に焦点を当て、いくつかの指標を見ていく。2005年版の『人間開発報告書』において、ネパールの「ジェンダー開発指数(GDI)」[1] は140ヶ国中106位と社会における人びとの状況は世界のなかでも後方に位置している[2]。
教育・識字

ネパールは全体としても2000年度の識字率が50.7パーセントと教育の普及が遅れている国であるといえるが、その中でも男女格差を見ることができる。
表1は、上が「粗就学率」で児童・生徒の年齢を考慮しない就学率であり、下が「純就学率」で法定学齢人口のみの就学率である。純就学率と粗就学率の差は、学齢時の年齢以上または以下の生徒が多く就学していることを意味する。粗就学率、純就学率ともに、どの教育機関でも男子が女子を上回っていることがわかる。
表2は世界銀行の資料をもとに作成した1999年から2002年にかけての男女別の識字率の指標である。2002年度の識字率は、男性が約61パーセント、女性が約25パーセントと男女差が極めて顕著である。
| 初等 | 前期中等 | 中期中等 | 後期中等 | 高等 | |||||||||||
| 男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | 男 | 女 | 計 | |
| 粗就学率 | 123 | 102 | 112 | 74 | 67 | 71 | 62 | 46 | 54 | 26 | 20 | 23 | 8 | 2 | 5 |
| 純就学率 | 78 | 67 | 72 | 31 | 26 | 29 | 17 | 13 | 15 | 6 | 3 | 5 | 4 | 2 | 3 |
| 年 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 |
| 識字率, 女性 (15歳以上の女性・%) | 23 | 24 | 25 | 26 |
| 識字率, 男性 (15歳以上の男性・%) | 58 | 59 | 61 | 62 |
出生時平均余命
表3は、2000年の地域別、男女別の出生時平均余命の表である。一般的に男性よりも女性のほうが長い出生時平均余命は、女性59.8歳、男性58.2歳とわずかに女性が上回っているのみである。都市部では女性70.8歳、男性71.4歳、また丘陵部でも女性64.7歳、男性65.4歳と女性のほうが短くなっている。
| 地域 | 出生時平均余命(年齢) 2000年 | ||
| 男 | 女 | 計 | |
| ネパール全体 | 59.3 | 59.8 | 59.5 |
| 都市 | 71.4 | 70.8 | 71.7 |
| 農村 | 58.2 | 59.3 | 58.7 |
| 山岳部 | 48.6 | 51.1 | 49.8 |
| 丘陵部 | 65.4 | 64.7 | 65.1 |
| 平野部 | 61.7 | 63.2 | 62.4 |
政治
政治の分野においても男女の格差が顕著である。
表4は「政府・議会における女性の割合」であるが政府の大臣レベルにおける女性の割合は7.4パーセント、議会においても6.4パーセントのみとなっている。この指標から1990年の民主化達成以降もどれだけ女性が政治的プロセスから排除されてきたかがわかる。
マオイストは反政府運動において、このような女性が排除されてきたネパール社会の状況をうまく利用した。マオイストは幹部の30~40パーセントくらいを女性が構成しているといわれる。[6] マンディラ・シャルマとディネシュ・プラサインは「人民戦争のジェンダーの次元」という論文で、「現在の紛争は過去2~3年で起こったものではない。その背景には、悪い統治、抑圧、腐敗、人びと特に女性の周辺化の長い歴史がある。 -中略- マオイストは農村の女性の間で広範囲に及ぶ正当な不満を利用した。[7]」と述べている。
| 議会における女性の割合(%) | |||
| 政府の大臣レベルにおける女性の割合(%) | 下院 | 上院 | 全体 |
| 7.4 | 5.9 | 8.3 | 6.4 |
おわりに

以上、大雑把であるがいくつかの指標を通してネパールのジェンダー格差の状況を見てきた。ネパールの女性が社会的、文化的、政治的環境において差別を受けていることは確立された事実である。ジェンダーに基づいた差別と同様に、農村のネパール人女性は、地域、階級、カースト/エスニック・グループに基づいた暴力も被っている。
ネパールでは昨年11月21日に和平が成立し、1996年より続いた内戦に一応の終止符が打たれた。現在は反政府活動を行ってきたマオイストも政治プロセスに参加し、新たな国家建設に向けて動き出している。しかし国連によると、和平を実現した国や地域の約半数が、5年以内に再び紛争状態に逆戻りしているという。大量の武器が国内に拡散するに至ったネパールにおいても、この和平成立後も散発的な紛争や武力衝突が続く可能性がある。実際既にネパール南部のタライ地域の人々がより高度な自治などを求めて運動を起こし、死者が出る事件が起きている。
私はネパールで1996年より約10年間も内戦が続いた根本的な原因の一つは、ネパール社会が低カースト、エスニック・グループ、女性、地方の人々等を排除し、特に1990年民主化以降、グローバリゼーションの影響等もあってそのことが顕著になったことにあるのではないかと考えている。そのため現在ネパールにおいて平和をより強固なもにするにはこのことに政治や社会が対処する必要があろう。
マオイストはイデオロギー的には家父長的組織を終わらせることを主張し、反政府運動において様々な女性の権利を要求してきた。また既に述べたように、組織の中でも女性を積極的に登用してきた。しかしそのようなマオイストでもごく近い未来において、いかにより有意義にジェンダー問題に対処するかという予定案を公に提示したとはいえない。
昨年に起こった国王政府に対する民主化運動の過程の中で、女性の権利に関するいくつかの法的改善は見られた。しかし、本文章で見てきたようにネパールにおけるジェンダー格差は根深いものであり、これからもネパール社会全体で対処・改善していく必要がある。このことは政治的プロセスに参加するようになったマオイストを含めた新たな政府を運営する人々に課された重い課題の一つである。
注:
[1]男女間の出生時平均余命、教育達成度、収入の格差を総合した指標。
[2]United Nations Development Programme, Human Development Report 2005, Oxford University Press, 2005. pp.299-302.
[3]Central Bureau of Statistics, Nepal Living Standards Survey 2003/04 Statistical Report, His Majesty’s Government National Planning Commission, December 2004 (Vol.One), p.76, 77.
[4]World Bank, World development indicators database (2005年11月24日アクセス) をもとに作成。
[5]United Nations Development Programme, Nepal Human Development Report 2001: Poverty Reduction and Governance, United Nations Development Programme, 2002, pp.131-132.
[6]Mandira Sharma and Dinesh Prasain, ‘Gender Dimensions of the People’s War: Some Reflections on the Experiences of Rural Women’, Michael Hutt (ed.), Himalayan People’s War: Nepal’s Maoist Rebellion, Indiana University Press, 2004, p.152.
[7]Ibid., p.164.
[8]United Nations Development Programme, op.cit. (2005), p.305, p.318.
