経験としての民主主義;アフマド・サアディー氏、「パレスチナ人としてイスラエルに生きるとは」を語る
| Tuesday, February 27, 2007 | Printer friendly version |
| by (Translated by: Japan Palestine Medical Association) | Original in English |

日本パレスチナ医療協会(JPMA)は、ガザ地区とヨルダン川西岸地区でパレスチナ人の保健医療活動を支援する日本の市民団体だが、時々、外部の講師を招き、公開講座「中東はどこへ」を開いている。2007年2月17日には、「イスラエルは民主国家か?パレスチナ人としてイスラエルに生きること」のテーマで、ベン・グリオン大学(在イスラエル・ベールシェヴァ)政治学科准教授アフマド・サアディー博士の講演会を主催した。博士は、イスラエルとその占領地に暮らすアラブ人や、他の少数民族が直面する社会的差別について、多くの本を書いている。私は、幸運にも、サアディー博士の話を聴き、つづいて行われたディスカッションにも参加することができた。以下、博士が議論したいくつかの主要なテーマについて、関連資料を参考にしながらまとめてみた。
「民主主義」という術語は、実にしばしば誤用、乱用されている。サアディー氏は、この古い概念について、学問分析の場合に典型的にみられる、性急な理論的アプローチを注意深く避け、むしろ、ある意味では非常に個人的だが、直感的な方法を試みた。彼は主題に入る前に、二つのシンプルなポイントについて語った。
第一に、民主主義とはある種の経験である。民主主義にとって問題なのは、人々が、その中でどのように生活しているか、ということだ。民主主義は、単なるワンセットの制度的手続きではない。その政治環境の中で人々がどのように感じ、どのように自分たちの人生を経験していくのか、ということである[1]。
サアディー氏は、議論の出発点として、制度的な手続きよりも経験を重視する。つまり、個人が直面する社会的現実、とくに、差別された少数民族の観点からみた現実を重視する。このような現実を基に把握された全体像は、投票箱の分析から引き出されだけのものより、はるかに本質に迫るものである。このアプローチを裏付ける論理は、単純明快である。民主主義は、単なるルールや規則以上のものだということだ。このことは、なんらかの抑圧と闘っている者なら、誰でも知っている。サアディー氏は、別のところで、「市民権とは、法律の条文に書かれた市民の権利(市民的権利、政治的権利、社会的権利)にとどまらない。市民が実際にそれらの権利を行使することができるという、現実の可能性である。市民権を実地に体験することは、単なる形式的経験よりも、もっと重要なことだ。」と書いている。[2, p.31]

イスラエル国家の現状に照らしてみた場合、「経験」にかかわる問題は、とくに重要である。サアディー氏は、イスラエルに暮らすパレスチナ人としての立場からそのように説明する。
「国内外に暮らすユダヤ人の要求や利益のために尽くすことが、イスラエル国家の存在理由であると、宣言されている。だから、必然的に、パレスチナ人は二級市民に格下げされる。このようにして、平等原則が侵され、民主主義的経験の主体となるはずの市民は、二種類に分けられる。」[2, p.25]
[この国の]選挙制度や、法制度的枠組み、崇高な理想などを研究してみても、実生活における民主主義の侵害という、経験的な現実を説明するうえで何の役にも立たない。それを説明するには、イスラエル国家とイスラエルが仕える利害(イスラエル国籍の有無にかかわりなく、「世界のユダヤ人」の要求に応えること=訳者注)のために維持されているシステム、つまり、他者を周縁に追いやり排除するシステムを、直視することが必要である。
このような文脈から、サアディー氏は分析の問題に話を進めた。
「私が指摘したい第二点目は、何かを分析する最良の方法は、いかなる理論的概念や、いかなる組織・制度に対するものであっても、それら領域を取り囲んでいる境界線まで行って、その地点を徹底的に分析すること。いいかえれば、極端なケースについてもその理論を適用してみて、それが機能するかどうかを分析することである。」[1]
イスラエル国家についていえば、少数派であるアラブ人のケースが、明らかにこの点で際立っている。「少数派パレスチナ人に関するリサーチが盛んなのは、パレスチナ人の地位が、この政治制度の本質に関する、究極のテストケースであることが理解されているからだと思われる」とサアディー氏は説明する[2, p.28]。少数派であるパレスチナ人が体験しているように、人種主義的境界線に関わるこの問題ほど深刻なものはない。サアディー氏自身、このトピックについて何度も論じている。イスラエルによる新しい「アパルトヘイトの壁」建設は、その最もグロテスクな姿だが、これほど露骨ではなくても、同じ様に暴力的な人種主義の境界線は、イスラエル社会のあらゆるところに張り巡らされている。

こういった境界線の起源は、シオニズム運動の始まりまで遡ることができるだろう。イスラエル国家の誕生以前、パレスチナがイギリスの委任統治下にあったときでさえ、パレスチナ人とユダヤ人を区切る境界線は「排除の制度化を通して構築され、絶えず育成されていた」。 [4, p.138] それを明白に示す組織としては、世界シオニスト機構(World Zionist Organization; WZO)、ユダヤ国民基金(Jewish National Fund; JNF)、そしてユダヤ機関(Jewish Agency; JA)などがある。制度化された人種主義は、やがて、あからさまな暴力のかたちを取ってあらわれた。サアディー氏は、「入植者たちは、技術と組織力で優っていたから、戦争が、地元民を追い出し彼らの土地を接収するための主な手段となった。[4, p.139]」と書いている。デイビッド・ベングリオンは、「この戦争は、我々に土地をもたらすだろう。『我々の土地』と『我々のものではない土地』という概念は平時のものでしかない。そのような概念は戦争によって意味を失うだろう。」と彼らの戦略を簡潔に述べた。 [5]
イラン・パペは、彼の新しい著書「パレスチナの民族浄化」の中で、この地域に劇的な変化をもたらした「プランD」を取り上げ、入念に組織化された[シオニストの]方法について詳しく説明している。この劇的な変化は、パレスチナ人からは「ナクバ」(大災難)と呼ばれ、1948年のアラブ・イスラエル戦争によって引き起こされたものである。
「決定が下されてから、任務が遂行されるまでに6ヶ月を要した。任務が完了したとき、パレスチナにもともと住んでいた人口の半数以上にのぼる、約80万人が強制退去させられ、531の村が破壊されていた。さらに、11の都市の住民が退去させられた。この計画は、1948年3月10日に決定された。その後数ヶ月にわたって組織的に行われたことは、まさに明白な民族浄化作戦であり、今日の国際法上、人道に対する犯罪とみなされるものである。」 [3,p.xiii]
「プランD」の実施により、新しい国家は、パレスチナ全土の77パーセントの地域につくられ、もともとパレスチナに住んでいた人々の77~83%が難民となった。このほか、新しく指定されたイスラエルの境界内に暮らすこととなった、約16万人のアラブ人のうちの約20パーセント、つまり以前のパレスチナ・アラブ人口の2.5パーセントにあたる人々もまた難民となった。「遺棄された財産」を適正に配分するという名目で、「存在する不在者」(nokhehim nifkadim)という、自己矛盾した概念が創られた。ジャーナリストであるアタッラー・マンスールは、「一瞬たりとも祖国の地を離れたことがないのに、(たまたま、その時、自分が所有していた別の土地に居て)当該の土地にいなかったパレスチナ人は皆、『不在者』とみなされ土地を失った。アラブの土地は戦場となり分割されたのである[6]」と説明している。
このような「不在者」は、当然いつか戻ってきて、自分たちの土地や財産の返却を要求するはずだと思われる。しかし、そうはならないのだ。新しいイスラエルの政治組織を支援するシオニスト組織の側は、法的策略をめぐらせて、土地という獲物が、間違いなく新しいイスラエル市民の手に届くようにした。「ニュー・レフト・レヴュー」誌に発表した論文の中で、ガブリエル・ピーターバーグはこの過程を詳しく説明している。
「管財人」と呼ばれる見せかけの法人がつくられ、特別な政府組織「開発機関」に不在地主の土地(法の1b条で定義)を売る権限が、与えられた。「開発機関」はユダヤ国民基金(JNF)にその土地を売った。最終的にそれらの土地はユダヤ人だけに賃貸された(これはJNFにとって手続き上重要だった)。それらの土地は、法的には国家のものだったが、徐々に事実上の私有財産となっていった。[7]

多くの難民が、かつて自分が住んでいた土地を占有しているユダヤ人の農家で、賃金労働者として働いている。一方で、「不在地主」の闘いは、今日も続いている[8]。このような市民権の剥奪は、イスラエル国内のパレスチナ人市民とユダヤ人市民の間の、制度化された分断を物語っている。そのような分断は、1948年の民族浄化の前から存在していたのだが、新たな「民主」国家にふさわしいものへと変化していった。サアディーは以下のように書いている。
[イスラエル国家という]政体の民主的な外見に説得力を持たせるような方法で、それらの境界は、再び描きなおされた。政体の外形(公式手続きのレベル)とその内容(すなわち社会関係、その関係の中でさまざまな国家機関と準国家機構が機能する)の間に、修復できない亀裂が残された。パレスチナ市民は、政治的な権利(主に投票の権利、公職に立候補する権利、政党をつくる権利)が公式に与えられる一方、法律や規則、慣行によって差別されてきた。さらに、彼らは、排除や排斥、制度化された人種主義や偏見によって被害をこうむってきた。この形式と内容の二重性は、マイノリティの人々の生活においても、理論のレベルでも多くの複雑な問題を引き起こしている。[4, p.139]
彼は、話の中で、イスラエルに住むパレスチナ人が直面している問題を、大きく5つにまとめた。一つ目は、すでにとりあげた「存在する不在地主」の状況によって明らかになったような、財産の所有権の問題である。この最初の問題と関連して、イスラエルの中の民族的な少数者に対する相変わらずの法的差別がある。イスラエルの中のパレスチナ人人口が増えていることについて、サアディーは言う。「彼らは、パレスチナ人の高い出生率に怯え、その出生率を減らす手立てに関して度を越した執念を燃やしている」 [4, p.142]。この人口統計上の脅威に応えて、高いユダヤ人人口比率を維持しようと、イスラエル国家によって、さまざまな法的措置が取られてきた。サアディーは特に1950年の帰還法と1952年の国籍法に注目する。それらはいずれも、すべてのユダヤ人が国境内の空港で市民権を取得できるようにするものだった。そのような法律がユダヤ人の利益を優先させる一方、他の法律は明らかにパレスチナ人を標的にしている。恐らくこのカテゴリーの中で一番あからさまなものは、イスラエル市民とパレスチナ人の結婚を[事実上]禁止する規定である。ジョナサン・クックはこう書いている。「あるイスラエル人とあるパレスチナ人のカップルは、イスラエルの中で一緒に暮らすことが出来ないだけでなく、二人は占領地でも結婚生活が禁止されている。イスラエル市民は、軍事規則で占領地への立ち入りが禁止されているからだ。」[9]
イスラエルに住むパレスチナ人にとっての三つ目の問題は、サアディーが言うには、強力なユダヤ人組織が政治構造の一部になってきているということである。さまざまな法的口実によって土地を盗まれた「不在」パレスチナ人のケースは先ほど述べた。もっと一般的なケースでは、かつて公共財産だったものが私的に流用される。サアディーは、最も強力な組織の一つであるJNFについて、こう書いている。
「1953年に出来た特別法によると・・・JNFは準政府機関の地位を与えられている。アラブの土地の接収可能な部分は、国家によりJNFの所有へと移転され、JNFの代表者らは、国土の92%以上にあたる『国有地』を管轄するイスラエル土地機関の理事会で、有力な地位を占めている。」 [4, p.144]

先月のエレクトロニック・インティファーダ誌に載ったアルジャン・アル・ファセドの記事によれば、JNFは、1948年に推定60万ドナム[10]から93万6000ドナム[5]の土地を獲得したが、2003年までには合計255万5000ドナムの土地を得た。(1ドナム=1000平方メートル)。パレスチナ人の観点からみたばあい、この機関が土地の所有権にとって重要なことは、明らかである。サアディーは書いている。「JNF規約第3条が明言しているとおり、JNFの目的は、土地を買い、その土地を『建物の建て増しに使ったり、耕作したり、ユダヤ人に貸したりするために使用することだ。・・・土地を開発したり、貸したりすることは許されているが、しかし、貸与できる対象はユダヤ人に限られている。』又貸しは禁止されている。[4, p.139]これは『ヘブライ人の労働』という政策に基づくものである [5]」。アル・ファセドはさらに説明する。
「1960年につくられた法律は、イスラエルの土地政策を立案する場合に、JNFが実質的な役割をはたすことを認めている。・・・『イスラエルの土地』は売ることが出来ないことになっている一方で、イスラエルの土地法(1960)は国家とJNFの間で土地の移転を許している。さらに、このイスラエル法は、JNFに土地接収を目的とした公的機関としての地位を与えている」[10]。
JNFに接収された地域、そこには何世紀にもわたって実に多くの人々が住んでいたのだが、今ではわずかな痕跡しか残していない。かつて1万人が住み、学校やモスクがあった三つの村の地域は、ブルドーザーで平らにされてしまった。その歴史は消されてしまったのだ。その跡地に、カナダJNFの寄付(課税控除)によって「カナダ公園」が造られた。その公園は、エルサレムやテルアビブからやって来る、イスラエル人のピクニックエリアとなっている[11]。4000人以上が住んでいた別の村は、グアテマラの独立を記念する、松森に置き換えられてしまった[8]。同様の例は枚挙にいとまがない。
サアディー氏が挙げた四つ目の問題は、社会政策上の差別に関するものである。彼がいうには、パレスチナ人から見た場合、イスラエルの社会政策は「国際基準に合致していない」[1]。例えば、ユダヤ人生徒1人当りの教育予算は、パレスチナ人生徒1人当りの3倍にあたる。これは、1960年代までアメリカで実施されていた『分離されているが平等』という人種理論に基づく政策のレベルにもおよばない、と彼は指摘した。社会保障上の差別と同様、パレスチナ人は文化を発展させることも制約されている。ユダヤ人官僚がおこなう教科書検閲や、イスラエル内のアラブの大学設立妨害についてもサアディー氏は語った。
サアディー氏は、簡単なメッセージで次のように締めくくった。「イスラエル国家の構造とその内実の間には、深い矛盾がある。」それは「(イスラエル)独立宣言に内在する」矛盾である[1]。これは国家自体がかかえこむ矛盾だ。一方で「すべての住人に、宗教・民族・性別に関係なく、完全に平等な社会的・政治的権利を与える」ことを謳い、「宗教・良心・言語・教育・文化の自由」を保証しながら、他方で「すべてのユダヤ人に、故国への門戸を広く開くことを約束し、国家から特別待遇される地位を与えている」。[12]」この矛盾は、パレスチナ人を国政の意思決定の過程から排除していると、サアディー氏は指摘した。
サアディー氏はこう結論づけた。「民主主義は過程である。多様な集団を統合する過程であり」それが国民というものを形づくる。排除された集団が参加を許されない時、「排他的な体制は、この集団に対しても門戸を開くか、それとも崩壊するか、どちらかを選ばなければならない」[1]。南米の黒人や米国の黒人のケースをみてもわかるように、イスラエル国家は変化なしでは生き残れないだろうし、その変化は、排除されたパレスチナ人マイノリティとの対話を含まなければならないだろうと彼は観ている。
このマイノリティについてサアディー氏は最近次のように書いている。
「イデオロギーと[醒めた]意識の間の調節不可能なギャップは、・・・パレスチナ人がイスラエルに存在することによる深い矛盾が、今後一層強まりそうなことを暗示している。・・・この矛盾は、・・・彼らの政策のいくつかを変えるかもしれない。だが残念ながら、彼らは[今のところ]既定路線を走り続けるつもりでいる。[13]」
注:[カッコ]内は訳者が補った。
References
- Talk given by Ahmed Sa'di, Feb. 17, 2007.
- Ahmad Sa'di, "Israel as ethnic democracy: What are the implications for the Palestinian minority?" Arab Studies Quarterly, 22(1): 25-37, 2000.
- Ilan Pappe, "The Ethnic Cleansing of Palestine," OneWorld Publications, 2007.
- Ahmad Sa'di, "Construction and reconstruction of racialised boundaries: Discourse, institutions and methods," Social Identities 10(2):135-149, 2004.
- "Jewish National Fund's Violation of International and Domestic Law," Report prepared by the Palestine Land Society, August 2005. Originally quoted from Meron Benvenisti, "Sacred Landscape: The Buried History of the Holy Land," Berkeley: University of California Press, 2000, p.120. リンク
- Atallah Mansour, "Arab Lands in Israel: A Festering Wound," Palestine-Israel Journal of Politics, Economics and Culture 4(2), 1997. リンク
- Gabriel Piterberg, "Erasures," New Left Review 10, July-August 2001. リンク
- Isabelle Humphries, "'Present Absentees': Refugees Still Living in 1948 Palestine," Islam Online, Oct. 10, 2002. リンク
- Jonathan Cook, "Marriage Ban Closes the Gates to Palestinians," CounterPunch, May 19, 2006. リンク
- Arjan El Fassed, "Decision on UN consultative status for Jewish National Fund postponed," The Electronic Intifada, Jan. 25, 2007. リンク
- Ismail Zayid, "Canada Park: Canadian Complicity in a War Crime," Outlook: Canada's Progressive Jewish Magazine, Sept./Oct. 2001. リンク
- Declaration of Israel's Independence, 1948. リンク
- Ahmad Sa'di, "The Politics of 'Collaboration': Israel's Control of a National Minority and Indigenous Resistance," Holy Land Studies 4(2):7-26, 2005.
