中国阜新市に滞在して

阜新市内の工業地域
阜新市内の工業地域

「21世紀は地球上のすべての人びとと地域が輝く時代になるし、そのようにしなければならない」とは特定非営利法人地球宇宙平和研究所の中西治理事長の言葉である。実際情報技術の急速な発展やグローバリゼーションの進展が、そのような世界を実現できる環境を整えていっていると見ることもできる。その一つのいい例が当サイト「gyaku」の誕生であろう。このサイトの趣旨に「文字通り、「反対側」に焦点をあて、隠されたもの、見えないもの、切り離されたものを映し出していきます。人びとの歴史を追求するための、常に現在進行形の進化し続けるスペースをgyakuは目指します。」とある。このような理念を持って世界に情報を発信できるも情報技術の発展のおかげであり、メディアといえば「テレビ」か「ラジオ」という時代には到底実現できなかったことであろう。

そこでこの文章では、「gyaku」の特性を使い、ほとんどの日本人がその地名も聞いたことがない、中国人でも知らない人が多くいるある都市のことを書きたいと思う。このようなところはよっぽどのことがない限り、日本のテレビ番組で紹介されることがないであろう。しかし縁あってその都市に滞在する機会を得た一日本人として、この都市も21世紀輝きを世界に放つ地域になってほしいとの願いを込めて、この都市で体験したこと、感じたことを記したいと思う。

中国遼寧省阜新市

海州露天炭坑
海州露天炭坑

私は昨年2006年10月5日より約5ヶ月間、中華人民共和国遼寧省阜新市に滞在する機会を得た。「物産が多く民は豊かである」「面目を一新する」という意味の名称を持つ「阜新」市は、中国東北の遼寧省の北西部に位置する総面積10355平方キロメートル、総人口約193万人の都市である。阜新市は5つの区、2つの県(中国では市の下に県がある)、国家クラスのハイテク農業パーク、省クラスの経済技術開発区を管轄している。阜新市の東側には遼寧省の省都・瀋陽市があり瀋陽市から阜新市市街までは車/列車で約3時間ほどである。現在高速道路が建設中であり完成すれば2時間弱で連絡できるようになるという。

阜新市は市下に農業社会と工業社会が混在している。総人口約193万人のうち、都市人口は約78万人、農村人口は約114万8千人である。中心産業は炭鉱業、火力発電で、かつて中国で第一の露天炭坑であった海州露天炭坑、アジアで第一の火力発電所であった阜新発電所がある。現在阜新市は、炭鉱業を中心とした「中国式資源型都市」からの転換期を迎えている。

阜新市下にある二つの県のうちの一つ阜新蒙古族自治県(以下、阜蒙県)には、省の重要文化財に指定されている「瑞応寺」や、チベット仏教の歴史的芸術と賞賛される仏像を267体有する「海堂山」がある。これはこのあたりがチベット仏教の東方の中心地であることを示している。また阜蒙県には「中華最古の村」といわれる「査海遺跡」がある。これはこの地で大変古い玉竜が出土したためで、この玉竜は約7600年前のもので世界で一番古い玉竜であるとの説もある。

阜蒙県での農村訪問

阜蒙県は、総面積6246平方キロメートル、総人口は73万人、そのうち農業人口は64万人という農業が中心の県である。県内には漢民族、蒙古族、満族、朝鮮族、シボ族等24の民族で構成されており、そのうち蒙古族が総人口の約20.3パーセントを占め、蒙古族が自治をしている地域である。 滞在中、阜蒙県下のいくつかの農村を訪問する機会に恵まれた。いずれも今年の2月、友人の招待で訪問したのであるが、私は1月に上海に旅行に行っており、中国随一の現代都市上海と、阜蒙県の農村をこれだけ短い間に訪問できたことは、私に非常に強い印象を残すこととなった。

阜蒙県の農村(東梁鎮轉角村)
阜蒙県の農村(東梁鎮轉角村)

訪問したのは阜蒙県の東梁鎮轉角村、紅帽子郷道力板村、招束沟郷鳥蘭大巴村というところであった。それぞれ阜新市街から車で西に1時間弱、北西に約2時間、東に2時間半のところにあり、ほとんどの村民が農業を営んでいる。東梁鎮は交通の便は比較的よく、舗装された道路もあるし、小さな商店街、カラオケルームなどもあったが、紅帽子郷道力板村、招束沟郷鳥蘭大巴村は舗装された道路はなく、お店も数えるほどしかなかった。

阜蒙県下のいくつかの村を訪問し、何人かの村の人びととお話をする機会を持てたことで、様々ことを感じ、学ぶことができた。第一に、私の印象としてどの農村も周りを見渡して「何にもないな~」とは思ったが、「貧しい」とは思わなかったことである。このことを阜新の人に話すと彼らも「本当に?」と驚いていたが、それは私が南アジアの後発発展途上国であるネパールの農村を見た経験があったからだと思われる。ネパール全国の2000年度の識字率は50.7パーセントであった。このような国の農村の開発の遅れは日本では想像がつかないほどといっていいであろう。学校へ行けない子どもたち、靴を履いていない人などなど、経済的に「貧しい」生活をしている人びとはたくさんいる。電気、電話がない家も珍しくない。もちろん阜蒙県の農村にも貧しい人、生活が苦しい人がいるわけだが、それでも多くの人びとの「衣食住」は満たされており、ほとんどの子どもたちが小学校・中学校の教育を受けられている。ある農家の人の話では、ここ数年雨量が少なく農業の状況はあまりよくないが、経済状態、生活水準は近年よくなっているとのことであった。私はこのような地域が発展していくことはさほど難しくはないであろうと感じた。第二に、農村の人びとの温かさに触れることができた。これは、よく言われる「田舎のよさ」と考えていいであろう。どこにでも「いい人」「悪い人」はいるものであるが、上海や北京といった近代化された「大都会」にはない「よさ」がそこには存在した。確かに中国社会には大きな「格差」の問題がある。しかし農村と都市を「格差」の問題だけで捉えるのは誤りであろう。農村と都市には「違い」がある。その「違い」が農村を光輝かせると言ってもいいのではないか。

阜新市と日本

阜新市のことを知る日本人は少ないであろうが、実はここも第二次大戦時日本の侵略を受けた地である。1933年に日本は阜新市の侵略・占領を行った。このような地であるが私が体験した限りでは、激しい反日感情を感じることはなかった。逆に外国人が非常に少ない地域であり、珍しがられたり、ひいき目で見られているといった感じであった。

阜新市内の町並み
阜新市内の町並み

私は滞在中、阜蒙県下のいくつかの学校と交流を持つことができた。その一つが「阜新蒙古族自治県蒙古高校」であった。学生数2000人弱のこの高校は1957年に設立され、1981年に遼寧省政府から重点高校と認定されている。私は滞在中この高校に二回訪問させていただき、日本語の授業を見学させていただいた。この高校は全国でも日本語を勉強している生徒の数が多い学校として有名であり、現在も約700名の生徒が学んでいるという。

この学校のように阜新市では外国語として日本語を教えている中学校・高等学校は多い。また、特に蒙古族の人びとは中国人として漢字を知っているだけではなく、蒙古人の母語である蒙古語と日本語の語順が似ているため、より学びやすい言語であると認識しているようである。実際に、日本語でコミュニケーションを取れるかは別として、阜新市では日本語を習っている人、習ったことがある人に多く出会った。

阜新市での生活を開始してから1ヶ月ちょっとすぎた昨年11月のある日、阜新市にある遼寧工程技術大学で日本語の教師をされている知人の御招待で、ある食事会に参加した。そこには流暢な日本語話す5人の中国人の方がおられた。その方々の多くは留学生や研修生として日本滞在経験を持っていた。私は大変に驚いた。このような日本との繋がりがまったくなさそうな都市にこんなに日本語を流暢に話せる人たちがいたのかと。

彼らは、日本滞在経験がある人や個人的に日本や日本語に興味を持ち勉強を続けている人など約20人で、毎週土曜日に集まって日本文化や日本語等についてすべて日本語で勉強する「日本語コーナー」という活動をしていた。彼らは近い将来、この日本語コーナーを「中日ビジネス協会(仮称)」として公式に発足させ、阜新と日本の間の人材交流・経済交流・文化交流や阜新市内における日本語教育の普及などを行う機関にする構想を持っており、すでに協会設立に向けて動き出している。

彼らとの出会いは私の阜新での生活を大きく変えた。メンバーの方々が日本語ができることもあり、個人的に特に親しくお付き合いさせていただいたのであるが、皆さんどの人も人柄がよく、事あるごとに食事会を開いてくださったり、個人的に家に招いていただいたり、遊びに連れて行ってもらったりもした。一人ひとりに思い出がありいろいろしていたのだが、特に会の中心者である趙さんには、大晦日(旧暦)の夜に御自宅に招いていただいたり、老人ホーム訪問に同行させていただいたり、その他様々な相談に乗っていただいたりして、本当にお世話になった。

私は日本語コーナーを通じ、阜新に日本語を使いこなせる人材が少なからずいること、また阜新と日本の交流、中日友好に対し情熱を持って行動を起こそうとしている人たちがいることを知った。日本人だけではなく外国人自体が少ないこのような都市において、このような相互理解を促進する活動は大変貴重かつ重要である。私は日本語コーナーのために協力を惜しまないことを約束した。

おわりに

以上、私の体験談と共に阜新市や阜蒙県について書き記した。もしこれが10年前であれば、このような文章を書いて世に発信することなどできなかったであろう。

阜新市は産業構造の転換期を向かえている都市であり、財政などの課題も少なくない。しかし近年、中国の他の多くの都市同様急速な発展を続けている都市であり、少しずつではあるが外国の企業も参入してきている。私は阜新市がその名の通り、産業構造の転換に成功し、物産が多く民が豊かな都市になってほしいと思っている。また冒頭で書いたとおり、二十一世紀の「光り輝く」地域になってほしいしと願っている。

この文章を通じて、ひとりでも多くの人に、阜新のことを少しでも知ってもらえればと思っている。阜新市に興味を持っていただくきっかけになれば、これほどの喜びはない。


参考文献

  1. 『阜新市城乡地图册』2005年, 哈尔滨地图出版社.
  2. 中西治『アメリカ便り』2002年、特定非営利法人地球宇宙平和研究所。