私の宝物~ネパールの人々との出会い~

美しいヒマラヤで知られるネパール。しかしネパールでは1996年から11年間にわたって内戦が続き(現在停戦中)、多くの一般市民が巻き添えとなってきた。人民戦争による死者は1万3千人。負傷者は数千人。紛争で故郷を追われた人の数は10万人。拉致・失踪者の数は6万人。北海道の約1.8倍、人口およそ2,270万人という小国にもかかわらず、国連とアムネスティ・インターナショナルの調査結果によると、2003年と2004年の2年間でネパール国内の失踪者数は世界最多だ。

9歳娘(中央)、24歳の母(右)
9歳娘(中央)、24歳の母(右)

2006年3月に上智大学を卒業し、4月からは人権擁護NGOアムネスティ・インターナショナルでインターンとして働き始めた。インターンでは、8ヶ月後に控えたスピーキング・ツアー「紛争下に苦しむネパール~平和への手さぐり~」のコーディネーターという大役を任された。このスピーキング・ツアーは、人道支援の最前線で活躍する現地の人権活動家とジャーナリストを招へいし、ネパールの紛争下の人権侵害をテーマに、全国10箇所で講演会を開催するという企画だった。そのためインターンでは、ネパールに関する資料や報告書に追われる毎日を送っていた。資料の中で目にするのはどれも暗く悲しい情報ばかりだった。そんな時、NGOアジア・ボランティア・センター(AVC)が主催するネパールスタディ・ツアーのチラシを目にした。スタディ・ツアーは、ダリッドと呼ばれる最底辺に属する不可触カーストの女性たちとの交流を通じ、ネパールにおける女性の地位向上を学ぶという10日間のプログラムだった。私は、文章を通じてしか見たことのなかったネパールの悲惨な現実を自分自身の目で見ることができる大きなチャンスだと思い、すぐに参加を決意した。

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始めて訪れる地に胸を膨らませつつも、治安上のことを考えると不安もよぎった。しかし、このツアーで私が見たネパールは、それまでイメージしていたネパールとは遠くかけ離れていた。めいっぱいの自然と住んだ空気、野生の動物たちに囲まれて、のびのびと気ままな生活を送る人々。初日のバスの中で現地の通訳ボランティアのアルジュンさんが、「ネパールでは野良犬や野良猫や野良牛や野良馬などがたくさんいるので気をつけてくださいね」と言って、「野良牛!?野良馬!?」と日本から来た私たち一同は大笑いした。初日の夜は高地のホテルに宿泊したが、その夜にホテルのベランダから低地の住宅街を眺めて今度は別の通訳ボランティアが私たちに言った。「ネパールは夜になると上も下も星でいっぱいになるんだよ」、その言葉が今も忘れられない。電灯も信号もないから夜になると住宅街は真っ暗になる。家の光が星のように見えるから、高地から低地の住宅街を眺めると真っ暗な夜空一面に星が広がっているように見える。上を見るとそこにも空いっぱいに星が広がっている。「どっちが空なんだろ~」なんて皆で冗談を言って笑った。子どもたちはとても人懐っこく、村の人たちは話しかけると皆優しい笑みを浮かべながら一生懸命話を聞いてくれる。豊かな生活が村の人びとの心を豊かにしてくれるのだろうなあと思った。

10日間のプログラムの中で一番思い出に残ったのは、ダリッド女性の家庭に1泊ホームステイしたことだ。参加者は通訳ボランティアとペアになってそれぞれの受け入れ先へ振り当てられた。私は、通訳ボランティアのパンカジさん(26歳)とペアになってアチャミ家に泊まった。アチャミ家のホストマザーはなんと26歳、私と3歳しか年が変わらない上、すでに6歳の息子がいることにとても驚いた。

ダリッドの女性たちとのミーティング
ダリッドの女性たちとのミーティング

家の居間でくつろいでいると、近所の人たちが私たちを珍しがり、一目見ようとアチャミ家に遊びにきた。皆当たり前のようにアチャミ家を自由に出入りし、私たちのそばに座った。人だけじゃなくて、犬や猫、ねずみも自由に駆け回っていた。ねずみが居間を走りぬけたのを見て私がビックリして飛び跳ねると、皆は「そんなの当たり前のことだ、犬や猫と何が違うのか、私の家にだってねずみはいるよ」と言って大笑いした。この時に居合わせた2人の女の子との会話は、今も私の心の中に強く焼きついている。私たちがそばに座っていた女の子たちに年齢を尋ねると、彼女たちはそれぞれ24歳と20歳と答えた。それで今度は「結婚しているの?」と尋ねると、24歳の女の子が「9歳の娘がいるわ」と答えた。私もパンカジさんもとても驚いて、「何歳に結婚したの?」と聞くと、「12歳のときに結婚して、14歳の時に子どもを生んだわ」と彼女は答えた。「でも、旦那さんは病気ですでになくなってしまって、今は1人で子どもを育てているの。だから生活がとても大変。あなたもあんまり早く結婚するものじゃないわよ」と忠告してくれた。

ホストファミリー
ホストファミリー

夕食の後、村の広場でダリッドの女性たちの活動ミーティングがあり、私たちも参加した。女性たちは、昔はカフェに入ってお茶することも許されず、たとえ店に入ることができても自分が使ったコップは自分で洗って店に返さなければならなかったことなどを教えてくれた。最近はそのようなことを言われてもなぜ自分たちだけが洗わなければならないのかと聞き返しているため、ダリッドに対する人々の意識が少しずつ改善されてきたとも語っていた。私たちは日本の部落の人たちに対する差別などとも比較しながら意見を交換し合った。また、これから社会の差別にぶつかっていく彼女たちの子どもに、どのようにカーストや差別の問題を教えていくべきかについても話し合った。ミーティングは、夜10時まで続いた。

ホストマザー(左)、イシャンタ(中央)
ホストマザー(左)、イシャンタ(中央)

次の日、朝起きるとイシャンタのご機嫌は斜めで、しばらくするとワンワンと泣きだした。どうしたのかとパンカジさんに聞くと、「私たちが帰ってしまうのが嫌で泣いてる」と教えてくれた。私たちが、「まだ帰らないよ。今日も泊まってくから大丈夫」とイシャンタをなだめても、家から見えるバスを指して「うそだ~、バスが来てるもん」と一向に泣き止まない。パンカジさんが必死に、「あのバスじゃないよ」と言っても全然聞かない。「じゃあ、一緒に日本へ行こうか!?」と言うと「うん!」、「お母さんは来ないよ、1人でも平気なの?」と聞くと、「うん!」と元気よく答えるイシャンタ。意外な答えに今度は「日本がどこにあるか知ってるの?」と聞くと「カトマンズの方!」と万遍の笑みで遠くの方を指差して答えた。私もパンカジさんも家族も、そしてそこに居合わせた近所の人も一同大笑い。

とっても愛らしい男の子。やっぱり最後は大泣きして私たちを見送ってくれた。そんな可愛いイシャンタと私たちをやさしく迎えてくれたアチャミ家族が私はとっても大好きだ。たったの1泊しか泊まっていないことが信じられないほど、そしてここには書ききれないほどたくさんの素敵な思い出ができた。

子どもたち
子どもたち

紛争、貧困、ジェンダー、カースト、様々な社会の抑圧と差別の中で人々は生きている。しかし、そんな中でも自分たちの生活や地位の改善を目指して1日1日を力強く生きているネパール人。商売っ気がなくのんびりとしていて、焦ることを知らないネパール人。歌や踊りなどの文化や伝統を大切にし、ヒンズー教徒も仏教徒も皆がブッタの出生地であることを誇りに思っているネパール。豊かな自然と文化、そしてやさしくておおらかな国民性が訪れる人々の心を癒してくれる、それがネパールだと感じた。