チャラン・プラサイとルドラ・カドカのインタビュー

チャラン・プラサイ氏(Charan Prasai)は、元アムネスティ・インターナショナルネパール支部長、また人権NGO「HURON(Human Rights Organization of Nepal)」のスタッフとして20年以上に渡り人権運動の最前線に立ち活動してきた。現在は、停戦以来、人権状況を監視する委員会のコーディネーターとして活躍している。

ルドラ・カドカ氏(Rudra Khadka)は、新聞社カンティプルを経て週刊誌「サマエ」の記者として、ネパールでの紛争、社会問題、人権侵害について取材している。

アムネスティ・インターナショナル日本の招待で、プラサイ氏とカドカ氏は2006年10月30日から11月18日の間、全国ピーキング・ツアーのためゲストスピーカーとして来日した。2006年11月17日アムネスティ日本の東京事務局で、クリス・サルツバーグが両氏とのインタービューを行った。アムネスティボランティア鴇田花子も参加し、撮影も行った。


イントロダクション

クリス・サルツバーグ (CS): はじめに、日本でのスピーキングツアーの感想を聞かせて下さい。来場者からはどのような反応がありましたか?

チャラン・プラサイ氏(CP): とても前向きな印象を受けました。スピーキングツアーは、これまでの活動の成功例の1つとして挙げられます。アムネスティのボランティアは、この企画 のため本当に一生懸命活動してくれました。すべてがその場所その時間に用意され、 そこにはボランティアがいました。引継ぎもとてもスムーズに行い、それぞれの場所 で上手に広報を行っていました。

もう1つは、日本のすべてが美しいということです!これはスピーキングツアーを終 えて、私が感じたことです。

CS: この記事を読む人びとは、おそらくHURONについて知らないでしょう。HURON について設立のきっかけなども含めて簡単に説明して頂けますか?

ルドラ・カドカ氏とチャラン・プラサイ氏
ルドラ・カドカ氏とチャラン・プラサイ氏

CP: HURONは、ネパールで最も古い組織の1つで、パンチャヤット体制の時代 に設立されました。パンチャヤット体制とは、マヘンドラ国王が1959年に公選された 政府を解散した後、国王自ら導入した専制的制度です。パンチャヤットの時代には、 多くの著名な人びとや政治家、市民社会活動家がいましたが、彼らの政党は禁じら れ、1党支配制が敷かれました。政党を作ったり、党内で活動することは禁じられま した。

ネパール全土から集まった人びとの団体があり、彼らが一緒になって人権擁護団体、 HURON(Human Rights Organization of Nepal)を立ち上げました。HURONの目的は、 国内の民主化と人権を取り戻して言論の自由や移動の自由を回復し、これによって政 治的自由を国内に広めることでした。

現在マオイストの第2の指導者であるバブラム・バトライ氏も創設者の1人であり、こ の団体の幹部であったということには、私たちも非常に驚かされます。広報担当官 で、マオイストとの交渉チームのリーダーの1人であるクリシュナ・バハデュール・ マハラ氏もまた創設者の1人であり、ロルパ地区の副知事でもありました。共産党も 含め、現在この国で鍵を握っている多くの政治家が、HURONの創設者でした。現在も 市民社会活動を通じて国を引っ張っている著名な市民社会活動家もまた、HURONの創 設者でした。

HURONの目的の1つに、国内の民主化と人権を回復し、独裁政治と戦うことがあ りました。当時からHURONは、民主化が達成される前も達成された後も戦い続け てきました。たくさんのキャンペーンを行い、人権問題を取り上げました。1990年憲 法草案の際もHURONは、新憲法に人権を盛り込むため積極的に取り組みました。

人権活動家とジャーナリストを取り巻く状況

CP: あなたは長年にわたって人権擁護活動に取り組んできましたが、人権擁護活 動家を取り巻くネパールの現状について教えて頂けますか?

CP: 政府は人権活動家を快く思っていません。このことは民主的政府による 統治の時代でも同じです。現在は、もちろん、政府はより友好的に振舞おうとします が、本当は快く思ってはいないのです。政府は、私たちが人権侵害について触れるこ とを嫌がっています。なぜなら、そのことが和平プロセスへの進展を妨げると思って いるからです。

しかし、私たちは常に和平プロセスの中心に人権を据えるよう、マオイストだけでな く政府をも後押ししています。私たちは、これから先、人権に基づいて民主主義を広 めていくよう7政党の主要な人物に対しても訴えています。なぜなら、これまで政府 は人権を優先してこなかったからです。彼らは、民主主義を実現すれば全てが実現さ れると考えていました。国民は政治的権利を有し、その権利を行使できます。国民 は、少なくとも5年に1度、政治家に投票し、政治家は再選され、そして彼らは何でも 好きなことができる権利を取得するのです。

しかし政治家が当選された後、国民は無視されます。地方本部外の地方での警察や治 安部隊による人権侵害や違反行為は政府から無視されてきました。人びとは苦しみ、 多くの問題を抱え、どうしたらいいのか分からずにいます。政府自身が人権侵害を犯 した時、人びとはどこへ訴えたらいいのか分かりませんでした。

CS: では、将来このことが変わっていくと思いますか?

CP: はい、私たちはこのような問題を取り上げていきたいと思います。この ようなことは起きてはならないことです。もし1人の人の権利が侵害されたのなら ば、それが小さな侵害なのか、または脅迫か、あるいは拷問かにかかわらず、言い訳 を許すべきではありません。人権侵害に妥協が許されてはなりません。

CS: ネパールのジャーナリストにとって、このような状況、特に最近や4月の民 主化運動以前の状況はどのように写っていますか?

ルドラ・カドカ氏(RK): 4月の民主化運動以前はジャーナリストにとってとても困難な状況でし た。ジャーナリストは、治安部隊とマオイスト双方から攻撃されていました。4月の 民主化運動以降、状況は改善され、ジャーナリストは脅されなくなりました。しか し、私たちにはやらなければならないことがあります。私たちは、ジャーナリスト法 を改正したいのです。私たちは、この法律に苦しめられてきました。以前、国王は、 ジャーナリストを抑圧するためにこの法律を使いました。だから私たちはこの法律を 改正しなければなりません。しかし、現在の政府もまたこの法律を改正したくはない のです。

ネパール/マオイストの歴史

CS: ネパールでマオイストが政治的影響力を持つようになった理由をどうお考えで すか?

CP: これまでマオイストはネパールの政界において、有力な政治勢力の1つでし た。民主主義回復後の1990年、マオイストは統一人民戦線と呼ばれていました。マオ イストは、第1回総選挙で9議席を獲得し、第3政党になりました。このことがマオイ ストが政治的影響力を持つようになったきっかけです。バブラム・バトライやプラ チャンダのような著名な指導者は参加していませんでしたが、他の指導者がいまし た。広報担当官の1人であるクリシュナ・バハデュール・マハラも当時、国会議員で した。

次の選挙で、マオイストは全ての議席を失いました。その日をさかいに、統一人民戦 線が分裂しました。1つは、武装革命の道を選び、ネパール共産党も毛沢東主義派 (マオイスト)となりました。他方は、統一人民戦線として残存し、現在も主要7政 党の1つとして存続しています。

最近まで、人びとはマオイストのイデオロギーを全く指示していませんでした。しか し、2005年2月始めに国王が権力を掌握すると、マオイストは市民社会と政党に対し て、2005年9月3日、一方的に休戦を宣言しました。市民社会は市民社会監視委員会を 設立し、HURONもその中で指導的役割を果たしました。マオイストと主要7政党 もこの市民社会監視委員会を支持しました。この委員会の目的は、和平プロセスを促 進するとともに、身元不明のマオイストや戦闘中でないマオイストの国軍による銃撃 を防止することでした。

実際、この委員会は機能しました。3か月間の一方的停戦の後、マオイストは停戦を1 か月延長しました。当時、主要7政党とマオイストは協力し、デリで12項目合意を締 結しました。このことは、マオイストがネパールの政党として認められるための転換 点でした。12項目合意とともに主要7政党とマオイストは、複数政党による民主的制 度を導入することや国際的な人権基準と価値を遵守すること、また民主主義の原則も 受け入れました。マオイストは、政治的影響力を持ち始め、主要7政党と協力しまし た。国民は12項目合意を尊重し、マオイストを以前とは違った政治勢力として認識し ました。このことが、ネパールに変化をもたらした大きな要因です。

4月の民主化運動に関するメディアの報道

CS: 今年の4月、あなたは他の活動家とともに拘束されましたね。ギャネンドラ国 王は4月21日に声明を出し、国民に権利を返上すると宣言しました。報道機関を含め 国際社会はこのことをとても歓迎したようでした。あなたと他の活動家は声明文を出 し、その中であなたは「ドュワコットの武装警察舎に拘禁されている私たち、市民社 会の被拘禁者は、2006年4月21日金曜日のギャネンドラ国王の声明に対する政府の好 意的な態度は、ネパールの政治的現状の誤解と声明自体の読み違いに基づくものだと 信じている」と述べています。あなたや他の活動家が直面した状況は、当時報道機関 が描いた現状とどう異なっていたのですか?

ルドラ・カドカ氏とチャラン・プラサイ氏
ルドラ・カドカ氏とチャラン・プラサイ氏

CP: この声明を発表することは当時とても困難でした。しかし、私たちは何とかや り遂げました。実際、当時、国王が権力を国民に返上すると声明を出した時、国王は 政府を樹立するため7政党を招いていました。このことは、報道機関だけでなくネ パールを支援する人びとやネパールに寄付をする人びとなど国際社会からも歓迎され ていました。彼らは、多くの死傷者を出した大きなデモの後だったため、このことを とても前向きに評価し、ギャネンドラ国王は独裁政治を断念したかのように見えまし た。しかしそれは誤解だったのです。

私たちは背後の陰謀に気づきました。国王は、シャー・バハドュ−ル・デウバを首相 に任命した後も、これまでと同等の権力を行使しようとしていました。シャー・バハ ドュール・デウバは、前回も国王によって首相に任命されましたが、4月の国王の任 命も前回と状況が似ていました。私たちには、国王が政治の後ろで糸を引き、再び政 治的指導者を彼の膝元に置こうとしているのが見えたのです。

私たちは、政党や政治的指導者たちもまた国王の声明を誤解しているのではないかと とても心配しました。それで即座に、何か行動を起こさねばならない、報道者や国際 社会、政党にこれは私たちが求めていたものではない、ということを伝えるべきだと 考えたのです。そして、私たちはそれをやり遂げたのです。

この声明を発表すべきかどうかについてはたくさんの議論がありました。しかし国民 は、国王から権利を取り返すための1つの機会を私たちに託してくれたのです。これ は、入り口にすぎなかったかもしれません。もし失敗すれば、私たちは全てを失った でしょう。私たちは、よりより権力の合意を実現するため危険を犯すべきだと考え、 この声明を発表したのです。

声明を出してよかったと思います。政党も理解してくれました。国際社会も理解を示 してくれました。

CS: とても力強い声明だったと思います。あなたは「あのような展開(政治的過程 の展開)の中で、私たちはギャネンドラ国王を無口な傍観者としてしか見ていない」 と述べています。今、このことが実現されたと思いますか?

CP: はい、私たちはそれを望んでいました。そして、それが実現したのです!

ネパールの報道規制

CS: 西部の報道では、4月の民主化闘争が政党とマオイストによって計画されたと 記述されていました。しかし、どのように抗議運動が勃発し、どのような人物が関与 し、どのような役割を報道機関が果たしたのか、あなたの経験から語っていただけま すか?

CP: 報道機関は実際、とても前向きな役割を果たしました。ギャネンドラが権力を 掌握した時、最初に標的にしたのは報道機関でした。他の標的は、人権活動家や市民 社会の人びとでした。最初、ギャネンドラ国王は通信やニュース、また当時とても人 気だったFMラジオなど全てを禁じようとしました。国王は、FMラジオからのすべ てのニュースを配信停止とするよう命令しました。しかし、報道機関が抗議し集会を 計画したため、命令は実行されませんでした。それで報道機関は裁判所へ訴えまし た。裁判所はこの騒動の中でとても重要な役割を果たしたと思います。FMラジオに よるニュースの配信を禁じる根拠はなかったのです。重要な役割を果たした裁判所 は、ニュースを配信する権利を報道機関に与えました。

実際、私自身も被害を受けました。国王が権利を掌握したとき、私はネパール西部の パルパにいました。突然私は、国王が権利を掌握したと聞き、一番近い空港まで慌て てやって来ましたが、すべてが閉鎖されていました。飛行機は一揆足りとも飛んでい ませんでした。何もなかったのです。航空機、運送機関、携帯電話、すべてが遮断さ れていました。それで私は、インドの国境付近のスナウリへ行きました。国境は、完 全には封鎖されていませんでした。それで私はそこへ言って、そこからアムネスティ ・インターナショナル国際事務局に電話をかけました。

彼らはとても驚いていました!彼らは、私がネパールから電話をかけた最初の人物だ と言いました!なぜなら彼らはまったく情報がなかったからです。すべてのニュース の配信が停止され、BBCの放送も停止され、CNNも停止され、すべてが遮断され ていたのです。

私は、ネパールに関するニュースを聞きたかったのです。彼らは言いました。私たち はBBCを聞くことができます。そして、彼らはBBCを通じてネパールで何が起き ているのか教えてくれました。彼らは私に危険かどうか尋ね、もし危険な状況にある のなら、助けるために何でもすると言いました。

私は、彼らにとても感謝し、これから家に帰るつもりだから大丈夫だと言いました。 私の家族は家にいました。私の娘はボンベイにいました。私はそこから娘に連絡し、 私は大丈夫だから心配するなと伝えました。

2〜3日後に空港が再開し、カトマンズに戻ることができました。何の表示もなしに、 飛行機が飛んでくるかどうか眺めていなければなりませんでした。なぜなら、すべて の塔が閉鎖されていたからです。私たちは、飛行機が飛んでくるのを眺め、飛んでき たらバスを捕まえて空港へ慌てて向かいました。飛行機が飛んで来るかどうかに関し て何の情報もなかったのです。

カトマンズに着くと、ある有名な週刊誌が新国王の権利掌握について私にインタ ビューをしにきました。私はとても率直に話し、これは好ましいことではない、彼ら は民主主義を破壊すると語りました。私は、この政権が民主主義をもたらすとは信じ ることがきませんでした。人権の観点からすれば、まったく好まいことではなく、和 平プロセスは行き詰まっていました。

彼は、翌日出版しようとしていました。しかし、軍隊が彼の事務所に居座っていたた め出版することができませんでした。彼は私に電話してきて、軍隊がここにいるから 出版できない、軍隊は前向きな記事の出版を望んでいると言いました。私は、いや、 そんなことはするな、と言いました。

翌週もまた軍隊が事務所に居座っていたため、彼は出版することができませんでし た。それから3週目、突然彼は記事を出版したのです!彼は私に電話をかけてきて、 軍隊がたった今出て行ったから出版できたんだ!と言いました。夕方、彼は電話をか けてきて、無事か?拘束されていないか?と私に尋ねました。彼はとても怯えていま した。その新聞社の編集長は、地方の行政事務所の誰かに、なぜ出版したんだ?と尋 ねられたのです。それで彼は、私はあの記事とは関係ない、インタビューを受けた人 が出版したんだ、だから彼に聞いてくれ、と言ったのです。

CS: 2005年2月から2006年4月の期間も同じような状況だったのですか?

CP: はい、緊急事態宣言が出されていました。当時はすべてが禁止されていまし た。緊急事態宣言は国際社会からの圧力の下、4月に解除されました。解除される 前、人びとはデモに参加することをとても恐れていました。政党もどうしたら良いか わからずにいました。なぜなら彼らもまた恐れていたからです。政党もまた1959年、 国王の野蛮な行為を被っていました。1959年、政党は長い間国から追放されていまし た。政党はとても恐れていたため、当時デモをしませんでした。それで、私たち市民 社会の人びとが集まって、7月10日にデモを決行することを決めたのです。

CS: それが2005年7月10日に行われたデモですか?

CP: はい、2005年のデモです。これが国の風潮を作った市民社会の動きの1つとな り、政党にデモを行う勇気を与えたのです。当時の政党は人気がなく、それゆえ国王 が簡単に権力を掌握してしまったのです。この民主的統治者は実際、国民に注意を払 いませんでした。人権は尊重されず、汚職が広がっていました。それで政党は、誠実 な人びととして見なされなかったのです。彼らは、デモを行うため協力をしようとも しませんでした。

しかし国民が動きだしたので、政党もまたデモを始めました。私たちには拘束された らどうなるのか予想がつきませんでした。当時26人が拘束されました。多くの有名な 市民社会の人びとが拘束されました。私たちは、私たちに一体何が起きるのか、長期 にわたって拘禁されるのか、失踪するのか、一体どうなるのか、本当に分からなかっ たのです。しかし、とても運がよいことに私たちは翌日釈放されました。

和平プロセス

CS: ありがとうございます。和平プロセスについても伺わなければなりません。マ オイストと主要7政党間で交わされた最近の合意について何か言及したいことはあり ますか?

CP: 7政党とマオイスト間で締結された11月8日の合意は、ネパールにとって歴史的 な出来事です。奇跡的な日として記憶されるでしょう。この合意に至るまで時間がか かったのは、武器管理だけでなく君主政治の問題があったからです。大きな議論があ りました。国連は、武器管理を監視、監督するため招聘されました。

政府が軍隊の武装解除を望んでいなかったため、解決しませんでした。マオイスト は、国軍を恐れて、人民軍から武器を回収しようとしませんでした。国王はマオイス トを排除しようとするかもしれません。

そのためこのことが大きな議論となり、討論されていました。11月8日、私は、この 複雑な問題がとても簡潔な方法で解決されたと思っています。国王の存続に関して、 制憲議会選挙で決定すべきか、国民投票で決定すべきか、または共和国の暫定憲法に 明記することで決定すべきか、ということもまた大きな議論となっていました。

CS: 統一マルクス・レーニン主義(UML)、1党だけが今もこの決定に反対して いますよね?

CP: はい、そうです。UMLは反対文を出しました。マオイストは、共和国を宣言 し、暫定憲法から国王を排除したいと考えていました。UMLと他の共産党は、制憲 議会選挙と同時に国民投票を行い、これによって国王の存否を決定したいと考えてい ました。ネパール議会党は、政権議会選挙によって決定し、制憲議会選挙の最初の議 題として取り上げたいと考えていました。

結局、制憲議会の最初の議題として王政の存否を取り上げ、過半数によって決定する ことになりました。3分の2以上ではなく、過半数で決定するのです。

武器管理の問題も解決しました。現在、双方の軍隊の間で調整が取れています。武器 を貯蔵庫に入れた軍隊は、貯蔵庫の鍵も保有します。しかし、国連から監視され、鍵 には警報装置が設置され、貯蔵庫にもカメラが設置されています。そこに武器と弾薬 を貯蔵します。しかし、鍵は、マオイストの軍隊とネパールの政府軍の双方に保有さ れます。

さらに、重要な決定の1つとして、失踪委員会だけでなく、南アフリカのような真実 和解委員会が設立されることも挙げられます。

新憲法

CS: それから新憲法についても伺いたいと思います。これはとても大きな問題で、 和平プロセスの中でも議論されていますよね。1990年憲法のどのような点を引き継 ぎ、またどのような点を改正すべきだと思いますか?あなたが重要だと思うことは何 ですか。

RK: 個人的には、憲法は改正されるべきだと思います。19990年憲法を見ると、よ り大きな権力が国王と政府に与えられていることが分かると思います。だから、根本 的に改正されるべきです。政府は、もっと前進し、もっと変化していくべきです。

王政は必要ないと思います。政府は、国民に対してもっと責任を持つべきです。 私たちは、これを変えていかなければなりません。私たちは、国際社会との関わり方も変え ていかなければなりません。ネパールの政府はいつも、インドと米国の顔色を伺って います。

CS: この問題について、多くの人びとがネパールは王政を改正する必要があると主 張しています。しかし、ネパールの資源を守る原理を明記する126条も現行の憲法に はあります。イラクで起きていること考えれば、米国の影響がその国の資源と密接に 関連していることが分かるでしょう。ネパールには、大規模な水資源や未開拓の石油 があります。ネパールに目をつける外国人にとって、資源はとても大きな問題です。

数週間前、米国とインドの企業代表者、ネパールエネルギー局(NEA:Nepal Energy Authority)の代表、及び多数のネパールのエネルギー関連団体の間で会議が 開かれました。ネパールは、大規模な水資源プロジェクトを提供しました、例えば、 パンチェシュワ−ルのカルナリ・チサパニやアルンIIIなどです。それで、このよう な大きなダム計画が、主にインド会社の利益のため再び始まりました。これはとても 大きな問題ですが、私の知る限りでは報道機関はこのことを伝えていません。憲法に 関連して、このことも重要な問題だと思います。

RK: はい、まさにあなたの言う通りです。

HT: 全てのこのような大きな取引は実際、マオイストの影響が最も強いネパールの西 部で行われます。プラチャンダも最近は、全てのこのような会議に出席しています。 それで、このような取引が交わされたようでした。

CS: 今日、たとえば、プラチャンダは、ジャック・ストローやルドルフ・ジュリアニなどの多くの有名な政治家を生み出す「インド:次の超大国?」と呼ばれるインドでの会議に参加する予定で す。プラチャンダは、以前は、武装リーダーのような存在で、誰も彼と話そう としませんでした。今、彼はこのとても大きな会議に参加し、そして2週間ほど前に は声明を出しました。声明の中で彼は、「利益を資本家に分配し」たかったと述べて います。そしてまた、彼と彼の党は「社会主義のために戦っているのではない」とも 述べました。彼の政党の指導者もまた、マオイストは「国際化や経済の自由化、また 自由市場経済に反対していない」と言うようなことを述べました。それで、何かが急 速に変わりつつあります。

水資源に関して、彼らはたった今アルンIIIの開発について話していますが、アルン IIIに対する大規模な抗議運動が10年前にありました。あなたたちがこのような水資 源に関するプロジェクトに直接関与したことがあるかどうかは分かりません。

RK: 私の住んでいるネパールグンジでの例を1つ挙げましょう。ネパールグンジに はラプティ川いう大きな川があります。ネパールの政府は以前、3度か4度、水資源プ ロジェクトにとりかかろうとしました。そして国際社会はというと、サウジ・アラビ ア政府はネパールに融資しようとしていたと思います。しかし、インドの圧力で、ア ラビア政府は融資を取り止めました。今、インドはラプティ川で水資源プロジェクト を進めています。ラプティ川はネパールにあります。インドは、ネパールの外の国境 の近くで、水資源プロジェクトを進めています。国際法によると、インドはそこにダ ムを建てることは許されていません。しかし、いずれにせよインドは、国境地域のと ても近くでダムを作っています。

CS: つまり、ネパールの政治はインドの政治と密接に関係しているということですね。

CP: はい、この水資源問題について語るとき、私はインドや米国、中国の影響を受け やすいネパールの首都、カトマンズで決定が行われる場合には、いつもこのような結 果になるとういことに気づくことがとても重要だと思います。ですから、私たちの主 な目的は、各州がその地域内の資源に関する権限を有することができるような連邦制 のような制度、州制度のような制度を構築することです。

例えば、パンチェシュワール地域では、水資源に関するプロジェクトは民主的統治の 時代、憲法126条に基づき3分2以上の賛成によってネパール議会で決定されていまし た。当時、地域の下院議員はみな取引に反対票を投じました。しかし、中央政府はイ ンドの意向に従いました。

これが、連邦制がますます有力になっている理由です。連邦制では、人びとが自ら決 定すべき事項に対して中央政府の影響力は小さくなるでしょう。連邦制に関する議論 は、新しい暫定憲法を作成する上で、最優先事項です。

今後の展望:補償、リハビリ、和解

HT: 和平合意が締結された次の日、私はBBCワールド・サービスを聞いていました。 BBCは、米国の中間選挙の直前だったにも関わらず、ネパールでの和平合意を大々的 に報じていました。

国際的な報道機関が、ネパールの和平合意に一定の役割を果たすことを期待します か?またそうであれば、何を期待しますか?

CP: はい、その通りです。私は、報道機関、特にBBCは、ポジティブな役割を果たし たと思います。あまりポジティブではありませんでしたが、インドの報道機関もで す。しかし、BBCはある意味積極的でした。なぜなら、内戦中、国王が権力を掌握し た時、マオイストの指導者はBBCからインタビューを受けたからです。このことはマ オイストの存在を脅威としてではなく政治勢力として国際的に認識せしめるきっかけ になりました。

米国は、ネパールのマオイストを含め、すべてのテロリスト集団に対してとても躍起 になっていました。米国は、マオイストにテロリストのレッテルを貼ろうとしていま した。しかし、そのような状況下で、BBCがマオイストの指導者にインタビューをし たのです。このことで、マオイストがテロリストではなく、目的や課題、そしてもち ろん、主張を持って戦っているのだ、という良いメッセージを国際社会に送れたので す。また、ネパールは観光客にとって安全な場所であるというメッセージも国際社会 に送ることができました。

だから、私たちはこのような役割を今後も担っていって欲しいと思っています。そし て、事実を曲げずに伝えて欲しいです。気持ちを理解せずにネパールのことを伝えよ うとし、もしそれが誤解されれば、消極的な意味でとられるでしょう。私たちは国際 社会に、和平プロセスをポジティブに受け止めて欲しいのです。

チャラン・プラサイ
チャラン・プラサイ

修復の過程で、私たちが乗り越えなければならない課題はたくさんあります。自立支 援や補償、和解などの課題があります。4月の民主化運動で、21人が死亡しました。 彼らの各家族には1万5千米ドルに相当する100万ルピーが慰謝料として現行の政府か ら支払われました。1万3千人以上のそれぞれの家族、それぞれの人にいくらかかるか 計算できるでしょう。

私は、補償についてだけ話しています。補償は、自立支援の全てではありません。な ぜなら、多くの避難民は、彼らは家族や尊厳、威厳とともに家に帰らなければなりま せん。彼らは、少なくとも1年以上は新たな収穫を見込めないため、少なくとも1年間 は食べ物や住む場所の補償を受けなければなりません。このような補償を必要とする 人は50万人います。人びとの間で増築してきた恨みや憎しみにも目を向けなければな りません。恨みや憎しみはとても広がっています。だから、草の根レベルからの和解 が必要なのです。

お金だけの問題ではありません。人びとが安心できなければなりません。加害者は罰 せられることです。私たちは友好的になることで、協力できるのです。やらなければ ならないことが山ほどあります。そのためには多大な努力が必要となるでしょう。費 用や資源なども必要でしょう。

それで、私は国際社会、特に国際的な報道機関は、和平プロセスのため表面的支援で はなく現実的な支援として、心の底からの支援として、この問題に目を向けるべきだ と思います。単にどの国がいくらお金を提供したという問題ではありません。心か ら、誠意をもって、応援しなければなりません。私は、ネパールの和平プロセスを本 当に支援するため、国際的なメディアもまたこのようなプロジェクトを行うべきだと 思います。